「同期の桜、長谷部君」
小汀 泰久 |
2011.11.02
今から46年前、陸上自衛隊少年工科学校の「同期の桜」の一人
であります長谷部重行君を紹介します。
8月17日の作品 9月1日の作品
彼は、北海道余市市(小樽の先)の出身です。
自衛隊を退職後、札幌で建築関係の民間会社に勤務し、私が父と
20年位前に札幌を初めて尋ねた時に大変お世話になりました。
9月15日の作品 10月2日の作品
その彼が、同期の風の噂で病に倒れ病気療養中であることを知り
ました。
10月16日の作品
数年前に突然、彼の奥様から電話を頂き、彼の状況を聞き驚きました。
後遺症により、言葉が話せない、体が自由に出来ないとのことで、電話
口で、わずかに言葉を交わしました。
それ以来、彼からは一ヶ月に2回のちょっとのコメントを入れた絵や版画
の作品が届くようになりました。写真をアップしたはがきは、今年の8月1
7日から10月18日の間に私の手元に届いたはがき5通です。
昨年の4月には、私のことを思いながら松江城の版画の作品もあります。
平成22年4月17日に届いた「松江城」この後、全国の名城と言われる
地域の出身の「同期の桜」の名前を入れて仕上げたものが届いています。
ご理解頂いている事と思いますが、これは彼の病後のリハビリの一つと
して行われたものですが、今や彼の趣味であり、生きがいであろうと思い
ます。 15歳の時から「同じ釜の飯」を食べた「苦楽を共にしてきた」者
であっても「長谷部君が絵がうまい!!」とか全くなかった筈です。
先日、私の誕生日の翌日、健康診断から帰ってみると珍しく封書が長谷部
君から届いていました。
中身は、
彼の知人が池袋の「肢体不自由児・者の美術展」会場で彼の作品が
展示されているのを写真にとってこのようなコメントを頂戴したものを
コピーして送ってくれたようです。
この写真が現在の長谷部君とその作品です。
そして、「これは、なんだ?」と思って良く見ると私らの入校3年目の今から
43年前の少年工科学校の3年生の時の教育訓練実施予定表です。
そして、15歳の時の3等陸士の時(1年生、46年前)の写真です。
左上の集合写真の前列右が私で後列、左が長谷部君です。
そして右下の一人の写真が私の写真です。上には彼がままならない
手で一生懸命書いてくれた「小汀泰久様」という鉛筆の字が見えます。
私自身が持っていない写真を、彼が大事に保管してくれていて、今、こ
のように<目にする>とは思ってもみませんでした。
彼の病気を克服する原点が、15歳の時からの少年自衛官の時にある
ことは間違いないことです。 感謝です。 感動です。
彼は、私だけでなく人数は分かりませんが、少なくとも全国に散らばる
「同期の桜」に同様なオリジナル作品を毎月2回、定期的に贈っていま
す。 素晴らしいことです。
今年の3月7日から30日までこのブログで紹介しました
<「福間清子」パート1~パート8>までの福間清子さんの「頑張り」
といい、私の周辺には病気を乗り越えて自分を高めていらっしゃる方が
おいでになります。
http://www.butsudannoharada.com/blog/2011/03/post-263.html
パート1を紹介しておきます。是非、ご覧下さいませ。
勇気づけられます。
ブログランキング参加中!
「おもしろい!」と思った方は、左のバナーをクリックお願いします。
現在1件のコメントが寄せらています。
福間 清子です (2011.11.06)
今晩は。哲郎さんの葬儀には、岡幹夫・須山茂・三代芳信・山根光則・山本茂・山本ひろみき・江角彰宣・大野庫一と私。計9人でした。なぜ女子は来てなかったのかな~?とがっかり。「私はこんな身体にはなってしまったが、友を送ることができることは有難い。みんなで送ってあげようよ。」と電話をしました。同期の桜の長谷部さん・・リハビリを凄くされたと思います。頑張った者だけに下さる「神様のご褒美です」私も頂きました。少年工科学校・・文武両道の人しか行くことができない学校。長谷部さんも優秀だったでしょうね。悔しさが強いと余計に頑張れるような気がします。何故か私事のようで当時を思い出し涙を流しながら読みました。諦めない・悔いの残らない生き方・・。日々感謝。感謝です。お体をご大事に・・。
フーちゃんのお嫁ちゃん可愛いね!きっと可愛いお嫁ちゃんになること間違いなし!ですよ~。










