わが母校、「川跡小学校」
小汀 泰久 |
2012.02.01
今日は、出雲の本店で定例の当社営業会議の開催日であり、出雲に
向いました。予てからの友人のお母様のご不幸により位牌の注文を
頂戴していたこと、「福山亀太郎」にまつわる<わが母校、川跡小学
校>を訪問したいと思っておりましたのでチョット早めに松江を出まし
た。
出雲市立川跡小学校の校舎です。(昭和32年、当時約2,000万円の
建築費で出雲市内初めての鉄筋コンクリートの校舎として建築された)
この昭和32年は、私が小学校に入学した年であります。
この小学校のことをつい最近、松江で聞く機会がありました。
その時のブログは、1月21日に紹介しています。
http://www.butsudannoharada.com/blog/2012/01/post-547.html
とても懐かしく、「福山亀太郎氏が寄贈した御影石の門柱」を確認しよ
うと何十年ぶりに<なつかしの母校>を訪ねました。
昭和52年に隣町の鳶巣小学校と合併し、現在の北陽小学校になって
いますが、この校舎は、つい最近まで幼稚園として利用されていたよう
です。
この小学校の特徴は、校庭の真ん中に「一里塚の松」が二本植わって
いることとその横に「忠魂碑」が建っていることでした。
昭和38年、私が「川跡小学校を卒業した」当時の
まま、「忠魂碑」は存在していました。
校庭の真ん中で、私等川跡小学校の児童を
見守ってくれていた2本の松も、幹は空洞が
ありながらも吹雪き舞う寒空に緑の枝を伸ば
していました。写真のように松の南側は、「川
跡コミニュティセンターの建ちものが迫ってい
ました。
50年前を思い出すのに<充分な素材>が
ありました。しばし、周辺をなつかしく歩きまし
た。
しかし、目的としていた「福山亀太郎氏の寄贈した門柱」が、いくら捜して
も見当たりません。 「コミセン」の玄関が開いているようでしたので受付
に「福山亀太郎さんのことについて伺いたいのですが、何方かご存知の
方はいらっしゃいませんか?」と女性事務員の方に訪ねましたら、奥に
着席の男性の方にお話をされ、「今、丁度センター長がおりますので、
お話をさせていただきますのでお上がりくださいませ!!」とのことで
応接室に通されました。
鐘築センター長様が、この「郷土誌 川跡」という立派な装丁の本の
427ページを示しながら「福山 亀太郎」について私の質問に丁寧に
教えていただくことが出来ました。
この鐘築センター長が、聞かないと分からない<当社と深いご縁の
ある方>であることも判明しました!!
まだまだ、長くなりそうなので今夜のところは遅くなりましたのでとりあ
えず「中断」して、パート2を次回にします。
今日のご縁にも感謝です!!









