わが母校「川跡小学校」パート2
小汀 泰久 |
2012.02.03
2月1日にアップしています<わが母校「川跡小学校」>の続きです。
鐘築センター長が、「郷土誌 川跡」427ページを開いて頂きました。
428ページの6行目から7行目に私が捜していた情報が明確に記載
されていました!!
仙台鉱山監督局長時代の大正六年(1927)4月、昭和天皇の
立太子記念として川跡小学校に御影石のの門柱を寄贈した。
その門柱は、昭和52年3月川跡小学校廃校により、荻杼町
善正寺の境内に移転されている。
鐘築センター長は、ゼンリン社の住宅地図で善正寺の位置を教えて頂
きました。
「郷土誌 川跡」のページ426ページに
父の名前であります「小汀 章」。大おじであります「小汀 利得」の
文字が見えました。
ページをにめくると、なつかしい大おじの写真と人物像が記載されて
いました。
鐘築センター長様の話によると、「この記念誌は、『全戸配布』をして
いますから、お宅にもあるはずですヨ」とのことで武志の我が家で捜し
ましたら、おっしゃるとおり<ありました!!>
鐘築センター長さんと「郷土誌 川跡」に記載されていることを地図上
に表すとこういうことになります。
善正寺まで100メートルあまりでしたので行って見ました。
ありました!! 見覚えのある門柱です。でも何か違います!!
<”高さ”>です。
どうも、想像するところ「この倍の高さは、あった」はずですので
中ほどの二段(この部分に『川跡小学校』や寄贈者『福山亀太郎』の
名前が彫り込んであったのではと思います。
今回の目的の「福山亀太郎」が寄贈した御影の門柱の所在が確認
出来ました。
川跡コミュニティセンターの鐘築センター長さんは、当社の前社長
那須康弘の高校時代の同級生で、お仏壇も当社から納めさせて頂
いている。又、センター長から「山陰中央新報の『こだま』に投稿され
ているのを読ませて頂いています。」との言葉を頂き「16回投書して
15回、載っています。」と申しましたら「そんなに!!」「半分くらいし
か、読んでないかも~~」と突然、訪問させていただきましたのに
長時間滞在いたしました。 最初に応対をいただきました女性職員
の方、(座って直ぐコーヒーが出てきました)鐘築センター長はもちろん
流石にコミュニティセンターというだけあってとっても「居心地のよい」
空間でした。
「公民館」とか「コミュニティセンター」は、
「かくあるべき」と強く感じました。
「郷土誌 川跡」を読んでいましたらいろんなところに「小汀」という
姓が記載されていましたが、小学校歴代校長のページには、
明治20年6月の福山亀太郎の前には、「小汀 巖」とあり、
これもビックリしました!!










