「えきて もどおー大橋川」その3
小汀 泰久 | 2013.12.18
宍道湖の嫁が島とホテル一畑を結ぶ湖上まできてUターン。
白潟分になります。
先ず「籠の鼻」 宍道湖から大橋川に流れてゆく中で激流の場所
で水上交通の難所であり、浸食も激しく割竹や蔦蔓の籠に石を入
れたものを護岸に設置したことから「籠の鼻」という地名がついた
ということです。
「合銀本店ビル」辺りから「うなぎのいずも」辺りです。
昭和の初めころの「籠の鼻」辺り、当時は道路幅も狭いところですが
フォードの黒い乗用車が行き来していたようです。
現在は、埋め立てて、道路も拡幅されているようです。この地には、
松江を代表する豪商、借家が林立していたそうです。
松江大橋の西灘は、湖上気船桟橋があり明治・大正の頃は、平田、
宍道、荘原方面との水上交通の拠点であったようです。また、現在
は龍覚寺の安置されている「松江六地蔵」の地蔵堂は、この場所に
安置してあったようです。玄助地蔵もこの地にあったそうです。
松江大橋の中央展望台は岡山産の桜御影で造られており高欄の擬
宝珠は、彫刻家内藤 伸作で松江ふそう方で技術を習得した三代遠
藤長太郎製作のものだそうです。
この写真の右手が、沖縄料理で有名な「島球」ですがこのあたりは、
八軒屋町と呼ばれ「渡海場」と呼ばれた渡海船の船乗り集団がたく
さん住んでいてとても賑わったところであったようです。
昭和50年代までは、現在の「おでんの長助」のところには「合同汽
船」の乗り場があったものです。
少し下ると、木立に囲まれた売布神社があります。
売布神社には江戸時代まで白潟本町の現在の郵便局辺りにあった
商売の神様「恵比寿神社」も移転、お祀りしてあります。
新大橋は、二代目で昭和9年に完成、和田見川を埋め立てて新大橋
通りと同時に完成しています。
くにびき大橋を過ぎると私が通っている「みやび歯科」が入居されて
いるビルが見えます。
更に下ると昨年「カニ小屋」とやっていた建物の隣接地が「はくちょ
う号」の寄港地です。
通常の道路から見る風景とこの水上から見る景観は、また違ってい
て、しかもそれぞれの場所も説明や解説を聞きながら歴史を知るこ
とも出来て陸上交通の観光と水上交通の観光はまた違った良さが
あることが良く理解できました。