160回「求法の会」レポート
2011.11.20
11月19日(土)、午後7時から「求法の会」160回が開催されました。
江戸時代の近松門左衛門の「曽根崎心中物語」と小泉八雲の「知られ
ぬ日本の面影」の第7章<心中>に著されている物語の紹介であり、
とても興味を引くお話でありました。
講師は、松江市和多見町 曹洞宗 浄心寺 住職 田中 信道 師
演題は、 「ある二つの物語」
この日のために作成いただいた資料をもとに講演頂きました。
配布された資料です。『その一』は、「曽根崎心中」の近松浄瑠璃集の
一節で七五調の素晴らしい文章であります。この文章を田中信道師は、
大学受験の頃に知り、暗記までされたほど心酔をされたようです。
近松門左衛門について詳しいHPを紹介しておきます。
http://homepage2.nifty.com/hay/chikamatsu.html
明治24年1月2日、松江市灘町のT医院の自宅で若い男女二人の「心
中事件」がありました。「曽根崎心中」と同様に女性は、「遊女のひとり」
で男性は、そのT医院の息子さんでありました。田中信道師のお寺は、
和多見の売豆神社の向いにありますが、その当時は和多見の街は、遊
郭がありました。T医院は、江戸時代から松江藩のご典医様の家柄で相
当身分が高く菩提寺は、天倫寺であったようです。ご住職が2年ほど前に
墓所の中で来待石の朽ち果てかけた石塔に明治24年1月2日という字が
やっと確認できる墓石の存在を確認されています。
中略
話は、上の資料に戻りますが小泉八雲の「心中」の一節であり、心中した
女性(遊女のカ子<かね> )の書いた”遺書”であります。
この文章も、年齢は17歳から21歳までの説がありますがこれから心中
しようという数時間前に表されたもので、その前の年に松江に来て、その
年の9月には熊本に移った小泉八雲の著書に原文が記載されています。
この浄心寺様のご住職、田中 信道師と灘町のT医院の跡継ぎであった
方(現在、埼玉県に在住)が同級生であり、今年になり何度も書簡を交わし
浄心寺の檀家の皆様の同意も得て<お盆前にお墓を立て直された>とい
うお話でありました。 田中住職さまがご自身のお寺との関係、二つの
実際にあった心中物語から残された文章の素晴らしさに魅せられてご披露
頂きました。
今年に入って、小泉八雲の関する私なりの「発見!!」が何度もあり、この
ブログにもその都度アップしておりますが、今回のお話は、まだ余り知られて
いない現実の話として貴重なものでありました。
こういうお話がお聞かせいただきますのも「求法の会」であります。
おかげさまで160回、まる16年の月日が経過しました。
最近は、お客様がちょっと減少気味であります。
次回は、来年1月21日(土)です。
石橋町、千手院住職 大北 哲也 師です。











