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堀尾家のお寺「円成寺」パート1

投稿者 小汀 泰久イメージ 小汀 泰久 | 投稿日 2011.04.18

昨日(4月17日)、昼過ぎにチョット時間をとって「圓成寺」を

訪問しました。 

新聞で「妙見社」が公開されている記事を見たからです。

 

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これが加藤清正が朝鮮出兵の折に苦戦をしたため、釜山で鋳造させた

鈴であり、この鈴を後に加藤清正から堀尾吉晴に受け継がれたことに

より、「圓成寺」の寺宝として本堂、ご本尊の安置してある下に地下室

があり、その地下室に下の写真の「妙見社」の中に収納されており、

普段は、「秘仏」として鑑賞は出来ないそうです。今回、「開府400年

記念博」の一環として4月15日から17日までの3日間の公開でした。

 

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若槻住職が自ら、一組ひとくみに詳しくご説明をされておりました。

鈴の上には、方位の神様(北を表す玄武)が乗っています。

裏には、「文禄二年(1593)、癸巳二月日」

     「肥後守 藤原 清正(花押)」と鋳出してあります。

 

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この「圓成寺」は、堀尾吉晴が松江開府のおり、慶長16年(1611)に

広瀬から移り、浜松の天徳寺から春龍和尚を向かえ当初、国屋の荒和

井山に瑞応寺として松江城主の菩提寺とした。

堀尾家断絶のあと、京極氏の時代に春龍和尚の隠居地であった元山に

移し、堀尾忠晴の戒名からとり「圓成寺」として爾来、400年にわたり

堀尾氏の菩提寺として法灯を守ってきた。

 

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本堂の前には、春龍和尚が紫衣の勅許を賜ったとき勅使がくぐられた

「勅使門」がある。  その紫衣が入れてあった「「春龍和尚紫衣勅許

御綸旨」の箱です。

 

このように「圓成寺」様には、「見所沢山」のものがあります。今回は

パート1としてアップしておきます。

 

昨年11月20日(土)の「求法の会」で長源寺住職 岸本 惠親 師

に「堀尾吉晴と春龍玄済禅師」という演題でお話を聞いています。

ここでその時に紹介をしたブログ22.11.21日付をアップしておきます

先日(20日)、150回の「求法の会」を無事終了することができました。

講師は、東津田の臨済宗 長源寺のご住職 岸本 惠親 師で

演題は、「堀尾吉晴公と春龍玄済禅師」という興味をそそる話でありました。

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この日は、長源寺さまは、「理由あって」「若住職?」さまも「随行」されて

おいででありまして写真のように講師様のとなりで終始「いい行儀」で

「お父様のお話に耳を傾けておいででありました」

 

堀尾吉晴の大名になってゆくまでの功績や人柄を詳しくお聞きすること

が出来ました。とっても「穏やかな」方であったけど武勇に優れ、その威

光をかさにきず功名を自ら語らない人であったようです。その堀尾吉晴

公が広瀬から松江に来て、城を築くにあたり、「松江」という地名を中国

の「淞江」(ずんこう)にならって「松江」と命名したり、「松江城」の築城

場所を決めたと言われる床几山にて同行して常にお側にいて、その力

になったのが 「春龍 玄済禅師」(禅宗での読み方は、しゅんるん げ

んしいぜんじと読むらしいです)で栄町の円城寺のご開祖である方です。

当時の天皇から「大光円照禅師」という禅師号を授かった高僧です。

 

こうして、この「求法の会」は、宗教的な法話ばかりでなく歴史や松江ゆ

かりの偉人、工芸家であったり、はたまた外国からの留学生の方などの

お話もお聞きすることができます。

 

年内は、これで終了ですが、年明けの1月15日に151回目の「求法の

会」が大田市からお越しいただきます

   浄土宗 向西寺 住職 山上光俊 師により

    演題「いのちがたり」の予定です。

どうぞ、ご期待下さいませ!!

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