「少年工科学校12期、同期会」
小汀 泰久 |
2011.12.05
12月3日(土)三重県の鳥羽市の鳥羽国際ホテルで陸上自衛隊
少年工科学校12期生の同期会が開催され、参加してきました。
島根からは、出雲市在住の3人と私の4人が参加し、出雲の土木関
係の会社の社長をしている方の車に便乗させてもらい、雨の降る朝
から三重県に向いました。後の二人は、電力積算システムの開発、
販売をする会社の社長、自衛隊に定年まで勤務し、空港の消防隊
その他で勤務し、現在は出雲駐屯地の援護室に勤務している人。
15歳から19歳まで「同じ釜の飯」を食べた4人の同期生です。
島根からの参加の4人+1人=5人
プラス1人は、島根県防災ヘリのパイロット菱川 暁夫 氏です。
彼には、知新会5月例会の講師も勤めていただいています。
その時の様子は、下記のHpで紹介しておきます。
http://www.butsudannoharada.com/blog/2011/05/post-325.html
彼は、神戸に自分の家族が住んでいるということもあり、単独行動
でありました。
全国から約500名の同期生の中から81名が参加してくれました。
昨年、10月2日~3日に松江で開催した折には、こじんまりと20名
ほどでありました(昨年は12月に九州・別府で盛大に開催)が、世話
人の配慮で出雲大社の大遷宮の工事の内容を説明頂いたりして、夜
の懇親会で今回の世話人の向井同期が「伊勢のきやり」を披露し、
「来年は、伊勢だ!!」となり、今回の会場が決まりました。
陸上自衛隊少年工科学校(現在は、高等工科学校に名称変更)の紹介
を動画(you tube )にてしておきます。ご覧下さい。
http://www.youtube.com/watch?v=s1ew0rncD5w
少年工科学校の「同期の絆」は、それぞれの期毎に特色はあると思いま
すが、我々の12期は、昭和43年7月2日に起きた「渡河訓練の事故」の
の期であり、その後の絆がより強固なものと思います。 その事故のこと
は、今でも検索すれば詳しい国会での審議の議事録も含め出てきますが
どういう方か分かりませんが、その時の様子を詳しく紹介されている文章
がありましたので掲載しておきます。
http://tikuma233.cocolog-nifty.com/blog/2009/05/post-fb8a.html
14:30過ぎにホテルに着いて、指定の部屋はあったのですが、関係なく
三々五々各部屋に集まり始めて昔話、現況を開会までの3時間たっぷり
懐かしく、楽しいひと時を過ごしました。
この七人だけでも札幌、仙台、千葉、東京、島根、福岡、鹿児島からです。
懇親会は18:00から21:00まででその後、2次会、3次会と続き、
各部屋に着いたのは12時過ぎていましたが、その後も自分の会社のこ
とや家族のことを話題に午前2時近くまで床に入りながらの話は弾みまし
た。
左端は、現在も自衛隊幹部学校戦史教官として活躍中の葛原 和三 君。
二番目は、元第1師団長(陸将)の武田 正徳 君。(我々の同期の出世頭)
三番目は、母校少年工科学校の元総務課長 福田 修三 君。
翌朝、の食事の時の様子。
来年の開催地は、「青森」とのことであります。楽しみであります。
お世話役の皆様に感謝!!
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現在2件のコメントが寄せらています。
東 信博 (2012.11.10)
今年は青森の不老ふ死温泉で12期生の同期生会が11月3日に67名参加し盛大に行われました。翌日、西津軽郡深浦町出身の亀川君の墓参に40数名が亀川君の義兄肇様24期生前田浩士二佐の案内のもとに参加しました。弘前在住の稲村同期生の尽力により北は北海道から南は鹿児島の同期生が念願の亀川君の墓参が出来、一連の十三名の殉職同期生の墓参に区切りがつき同期生一同45年の歳月を心に刻むことが出来ました。来年は北海道大会が村上幸三君・井上和男君の尽力により平成25年11月2日シャトレーゼガトーキングダムサッポロで開催されます。同期生皆様の出席が望まれます。