普済寺

普済寺

[出雲三十三番観音霊場]

普済寺イメージ

普済寺は、熊野大社と並んだ山手にあり、意宇川を渡った小地区の奥にある常栄寺の山内に移されている。常栄寺と尋ねないとわからないかもしれない.普済寺は那智山と号したが、今は本尊の十一面観音と御堂が常栄寺の本堂と棟続きで並んでいる.御堂は、三間二間の建物で普済閣と呼ばれている。
言い伝えによれば、本尊の十一面観世音菩薩は、往古に裸形上人が八束郡第一の高山である天狗山の中腹にある滝の淵の水面に夜々毫光を放っているものがあることを聞いて、淵辺の岩の上に正心端座して輝く禅定に入ったところ、それが観世音菩薩の白毫光であることを知ったという。そこで、それを淵の中より拝迎して、その地に草庵建てて奉安したと言われている。
上人は、観世音菩薩の御名号を感得して普済寺とした。今この地を御堂谷と言う。しかしこの地は人家から数十丁の離れた深い谷にあり参拝者の不便から常栄寺の定水和尚が村の富豪長沢氏から字宮内に土地およぴ御堂を建立し寄附を受け普済寺を移転する。
また、寺から数十丁も離れているため毎日の行持献供や開戸点燈酒掃等できにくく、信仰心が薄らぐことを憂い、明治四十四年七月常栄寺の境内に三間四面の堂宇を新築し、これに通天橋を架けて普済寺を移転したと言われている。常栄寺は、曹洞宗で月窓山と号し、尼子政久の菩提寺であり、境内には政久の墳墓があり尋ね訪れる人が多い。
 

<ガイド>
●宗 旨/曹洞宗
●ご本尊/十一面観世音
●名 所/熊野大社 安部栄四郎記念館

 

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八雲町の熊野大社から松江の300メートル手前に当社提供の左の看板と「普済寺」

「常栄寺」の看板が掛かっているところを西側の山の中腹に赤瓦の大きな建物群が

「普済寺」であります。

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常栄寺の本堂

御詠歌

やまじへて まいるもうれし このてらへ ふさいがなかは いつもかはわず

お寺の歴史を知る

常栄寺(曹洞宗)は、尼子政久の開基によるお寺で本堂の裏山には、政久の墓所もある。 札所寺である普済寺は、開創のころは大東町との境にある天狗山(610メートル)にあったが 明治40年に常栄寺の境内に移されている。

アクセス

松江市八雲町熊野2538TEL0852-54-0451